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selfcounselors  (2017)

selfcounselors(2017): プロフィール
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作品タイトル

随筆・写真《剥離 -Inferiority Feeling-》 映像《selfcounselors》

作品形式:1随筆 総ページ数:186ページ 2冊展示 2写真 7枚展示 3映像 作品時間:13分54秒 サイズ:1920×1080 執筆・撮影・編集:池田愛(筆名:伊藤丈)

制作背景

《selfcounselors》は、対人関係における劣等感に基づいてい る。精神分析学的な文献を引用しながら自分を精神分析し、 随筆として書き起こした。随筆として書き起こしたものは書籍に まとめた。随筆を中心として、今回は随筆のイメージがより鑑 賞者に伝わりやすくなるよう補完的な役割を持った写真作品、 映像作品も制作した。 あらゆる人間が自分自身に関しての問題を少なからず抱えてい る。それは外見的なコンプレックスに依存しているかもしれない し、内面的なコンプレックスに依存しているのかもしれない。要 因がどこに起因するにしろ、われわれが生活を営む上にはあら ゆる苦痛が伴っている。苦痛に応じて多くの問題があるだろう が、今回制作した作品の上では、その苦痛、つまり「人間の 悩みは対人関係の悩み」に起因しているということが前提とな る。 対人関係における劣等感をテーマにした作品制作の動機となっ たのは、個人的なコンプレックスが出発点となっている。私は はにかみ屋というにはあまりにも緘黙する場面が多かった。「選 択的緘黙症」という症状に似ていて、ある場面に遭遇すると押 し黙って話せなくなってしまう。主に目上の人間、立場の上の 人間に対して緘黙するという特徴を皮切りに原因を突き詰めて いくとその一端には劣等感が関係しているらしいことが明らかと なった。そこで、今回はアルフレッド・アドラーなど精神分析 的な文献を引用しながら「劣等感」についての研究を行った。 その上で自分自身の精神分析を行い、劣等感をテーマに随筆 をいくつか書いた。そうすることで私の劣等感が一挙に克服さ れる訳ではないが、概念的な観点から具体的な自己に対して 向き合う契機を得るため随筆《剥離 -Inferiority Feeling-》 を制作した。また、よりイメージを鑑賞者に伝達するために随 筆のイメージを表現した写真と、映像作品を制作した。映像 作品の名前は自分自身で自己の精神分析的な内容を行ってい るところから《selfcounselors》となっている。

テーマ・コンセプト

テ ー マ に は 「 対 人 関 係 に お け る 劣 等 感 」 を 主 題 として い る 。 書 籍化に当たって、「劣等感」から派生した文献を取り入れている。 アドラー以外の主だった文献については、岸田秀『ものぐさ精 神分析(上)(下)』、吉本隆明『共同幻想論』などを扱っている。 また、テキストを作品化することで鑑賞者からどのようなフィード バックが得られるのか確認することを一つの目的としてる。テキ ストの段階で得る感覚と写真映像で得る感覚の違いや、テキス

トと写真映像を合わせてみることで得る感覚についてどのような 感想を持ったかを確認する。これによりテキストを元にした作品 の展開にどのような展望があるのかの可能性を探る。 コンセプトは、精神分析学的な観点を元にした作品の写真・映 像メディアへの変換と実験である。

展 示 さ れ る 随 筆 か ら 明 ら か に な る の は 私 の 「 優 越 性 の 解 釈 」 のまずさである。アドラーの「劣等コンプレックスと優越コンプ レックス」の中で「優越性の解釈」については次のような例え とともに解説されている。『例えば、私が教師でハシゴをもって こさ せ て、 そ れ に 登 って、 黒 板 の 上 に す わ っ たと 仮 定 しよう。 私をみる人は誰もがおそらく「アドラー先生は気が狂った」と 思うだろう。彼 [ 女 ] らは、そのハシゴが何のためのものかわ からない。しかし、もしも「彼が黒板の上に座りたいのは、ほ かの人よりも物理的に高いところにいなければ、劣っていると 感じるからだ。クラスを見下ろすことができれば、安全だと感じ る」ということを知っていれば、私がそんなに変だとは思わない だろう。私は、私の具体的な目標を達成するために素晴らしい 方法をえらんだであろう。その時、はしごは非常に懸命な道具 であり、それにのぼる私の努力は、よく計画されてなされたと 見えるだろう。一つの点においてだけ、私はおかしいのだ。つ まり、私の優越性の解釈である。もしも私が具体的な目標の選 択がよくないと確信できたら、私の行動を変えることができるだ ろう。しかし、目標が変わらず、私のはしごが取り去られたら、 私は今度は、椅子で同じことをするだろう。そして、椅子が取 り去られたら、飛び上がりよじ登って力の限り飛び上がることで、

何 が で き る か 考 え る だ ろ う 。 あ ら ゆ る 神 経 症 者 も 同 じ で あ る 。 手段の選択に関しては、なにも間違っていない。それは批判を 超越する。我々が改善できるのは具体的目標である。目標を変 えることで、神経症者の習慣と態度も変わるだろう。もはや古 い態度を必要としない。そして、彼 [ 女 ] の新しい目標に適し た新しい習慣と態度がすぐにとって変わるだろう』 非常に懸命な道具 (= 優越性を満たすための手段 )」を用いて 具体的な目標を達成する (= 優越性を得る )」ことを見本にす れば、私の場合は「押し黙り緘黙する(自己萎縮した人間に なる)」で「権利ある人間からの承認 ( 優越性 )」を得ようとし ているのである。ここで理解されることがある。優越性の解釈 と具体的目標のまずさだ。健全な(何が健全であるかという問 題については、テーマ研究「劣等感と優越性の境界ー「夜と霧」 を 越 え てー 」 の 項 目 に あ ず け るとして ) 優 越 性 の 具 体 的 目 標 が

「押し黙り緘黙する(自己萎縮した人間になる)」で「権利ある 人間からの承認 ( 優越性 )」を得ようとしている」ことであるな らば、自己肥大した人間からの承認を得たとして得られるもの はせいぜい一時的な評価くらいなもので、共同体感覚を考慮す れば(あるいは全体主義ともいうかもしれないが)、その行動 の目指す具体的な優越性の獲得方法は誤りだと言える。共同 体での目標はこの地球上の限られた資源の中で生存することで あり、しかも必然的に形成された共同体のもつ共同体感覚を獲 得して他者の、または全体の幸福のために外部に関心をもち全 体への貢献を果たさなければならない。なぜなら、この共同体 で生存するという意味以上に、共同体感覚をいくらか引き受け るための訓練を積んだ我々は共同体の発展のために行動するこ とにあらゆる「善」の要素と論理的な要素を見出さざる得ない からである。仮に別共同体が存在したとしても、生死の関係性 が 逆 転 で もし な い 限 り は 似 た よう な 集 団 が 形 成 さ れ る だ ろう 。 加えて言うならば、このようにして共同体を異物として観察し続 けようと試みる限りは共同体感覚を完全に習得しているとは言い 難い。あらゆる人間はいくらかの共同体感覚への不信感を持ち 合わせてはいるが、共同体の中での加齢に伴ってその感情がいかに不合理かを知る。 あらゆる正義、あらゆる幸福、あらゆる善行が肯定的に社会に 受け入れられるのはこのためである。すべての美しいものは生 存の論理の上に成り立っているのであり、われわれが「生き物」 である限りはその論理から脱却することはないだろう。 以上が随筆のコンセプト・テーマの根幹になる。作品化にあたっ ては、私自身の対人関係における分析を踏まえて、随筆を執 筆し、写真・映像の段階へと派生させた。

selfcounselors(2017): ようこそ!
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