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I am not here / ここに私はいない (2016)

I am not here / ここに私はいない (2016): プロフィール
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制作背景 |
1 自我について関心があったため。
2 語りよりも文章に優位性を検証するため。
3 物質として実生活として現存することによる存在証明に「私」は、懐疑的 であったため。文字をつかうことを前提に関心のある自我をテーマとして取 り扱った形。

制作意図 |
1 壁の文字 : 自我の証明への試験的取り組みとその反証 ( 普遍的な自我の表 象 ) これまでの哲学、思想の中で、またはあらゆる人間が青年期にとりく むであろう自己存在 の証明。私という存在は、もちろん肉体的に、我々の 経験的に存在する。我々が我々に 対して抱く確固たる自 己という存在。( し かし盲信する事柄ほど誤認であることがある。あらゆる物事において誤認で あるという可能性が潜んでいるがそれも含めて ) 今回の作品では自己の証 明に取り組んだ結果、自己の証明の不可能性が ( 少なくとも言語 的には ) 証明されるという結論に至る。
なにが不可能かというのは、(1) 自我は語り尽くせないという数量的な不可 能性 ( 言い換えれば自我というのは証明し きれないという不可能性 ) と、 (2) 自我は単一のものではなくあらゆる種類のものが存在するという分類的 な意味での不 可能性 ( 例えばここで証明しようとしているのは私の自我で はないということやその他 の人間のものではないということやなまじ一つ の自我を証明したとしてもその他の自我を 証明することはできないという

こと )。以上の不可能性のため自我は存在しない可能性を反証することもでき る。
2 本 : 展示されている本『ここに K はいない Cartesian Theater?』は、脳内 の小劇場から着想を得た作品。自我について考え浮かぶ 情景を描いたものや 著名な哲学者の格言から派生したものが散文として並ぶ。

「私」の不在の違和感と「私」についての認識の契機 ( 製作者の個人的な自我 の表象 )

私以外の持つ普遍的言説の自己の象徴である 1 と私の考える自己の象徴であ る 2 が対比している関係。

テキストで埋められた空間であり、普遍的自己と個人の自己とその間に挟ま れた鑑賞者の自己が加わることで自己について問題提起する。

I am not here / ここに私はいない (2016): ようこそ!
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